新卒でうつ病になって3日で退職

新卒でうつ病になって3日で退職したあせんと(社会不適合者)の雑記ブログです

【書籍】「愛するということ」を読んでみたよ

どうも。

あせんとです。

 

みなさん、少なからず興味あるんじゃないかなぁと思います。「愛」。

僕も若かりし10代の頃は「愛」について毎日考えていました。

 

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書籍の中では「愛」についてこう述べられています。

 

愛とは、特定の人間に対する関係ではない。

 

愛の一つの「対象」にたいしてではなく、世界全体に対して人がどう関わるかを決定する態度・性格の方向性のことである。

 

もし一人の他人だけしか愛さず、他の同胞には無関心だとしたら、それは愛ではなく、共生的愛着、あるいは自己中心主義が拡大されたものにすぎない。

(新訳版「愛するということ」 著:エーリッヒ・フロム 訳:鈴木晶

 

なるほど。

では、「愛」をたった一人の人に対してしか向けられない人というのは、そもそも本質的な意味で「愛」が備わっていないのだと、フロムはこう言っているわけですね。

 

また、こうも言っています

 

愛するということは、何の保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。

 

愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない。

 

結局のところ、僕なりに解釈すると「見返りとか求めないでとりあえず相手のことを愛してみろよ」ってことなのかなと思います。

 

では、人を愛するには何が重要なのか?

書籍の中でフロムは、それは「能動性」であると言います。

 

能動的に人に関わることができれば、そこに愛は生まれる。

逆に、人と関わることに対して消極的であれば、愛は生まれづらい。

 

これは決してウェーイ系のリア充よろしくをやれってことではなく、その人がどんな姿勢で人と関わろうとしているかが重要なのだと、そう言っているのだと思います。

 

「愛」に積極的で能動的に関われる人とはどのような人か。

 

恥ずかしながら、僕は「愛」と聞いて真っ先に自分の母のことを思い浮かべました。

 

母は、たとえば遠方から親戚が遊びに来た時などは家族の誰よりも早く、率先して親戚たちをもてなします。

人数分の飲み物を用意し、「お腹空いてない?」と聞いた時にはすでに人数分の料理を作っています。

 

それは誰に言われるでもなく、母が率先して「そうしたいからそうしている」事なのだと思います。

 

他者への気づかい・思いやり・やさしさ。

そういった感情が母をそうした行動へと突き動かしているのだと思います。

 

逆に、「愛」に消極的な人とはどのような人か。

 

それは「愛されることを期待している」人だと断言できます。

 

世の中にはこういう人が本当に多いです。

自分が他者に対してなにができるか? ではなく、どうしたら相手に愛されるか? を期待するばかりで、能動的に人に関わるようなことはしません。

 

おじさんにお小遣いをもらって愛人をする女性なんかがいい例だと思います。

彼女たちは「金」という報酬を得て、見掛け倒しの「愛」をおじさんたちに振りまきます。

 

しかし、それは決してその人を愛しているわけではありません。

「金」という報酬が得られなくなったら、彼女たちはすぐにその人たちのもとを去っていくことでしょう。

フロムはこうした人間を「愛することができていない」と喝破するわけです。

 

人を愛するということは、「もしかしたら何の価値も生まれないかもしれない」「自分が愛をふりまいたところで、何にもならないかもしれない」という不安と闘うことではありません。

 

愛とは、確信をもって「相手に愛が生まれるだろう」と信じて行動することなのです。

 

 

うん。ちょっと説教臭くなっちゃったね。

 

簡単にまとめると、「自分は人を愛することができる存在なんだから、自分を信じて積極的に他者を愛していこうぜ」ってことです。

 

自分が全力で愛した結果、相手には何も生まれないかもしれません。

むしろ、ウザがられることだってあるかもしれません。

 

しかし、そんなことはどうでもいいのです。

 

自分が己の「愛」について信じて行動すること。

行動する理由はそれだけで十分なんです。

 

それでは。